令和2年度の経営革新計画を埼玉県に申請します。

そのために、ロードサイド経営研究所の三上先生(中小企業診断士)に相談させて戴いています。

先日先生に『何故鍼灸師になろうと思ったのですか?』と質問して戴き、説明するうちに、そういえばいろんなことに取り組んできたよな~と思い出すことができました。そこで、治療家の道を目指した高校時代からの自分年表を作ってみました。

そもそもは、高校3年生の時スポーツトレーナーになろうと思ったのです。そのために『応用が利きそうな資格を取っておこう。』っていうぐらいの理由で鍼灸師を選択したんです。でも今、女性専門の治療院を開業してトレーナー業は全くしていません。ここに至る二十数年、何を考えて、何をして、何を大事にして、本当はどんなふうになりたかったんだ?って振り返ってみたんです。

振り返って書き込んでいると、紆余曲折あって当初目指したことと違うことをしているけど、想いの根源は完全に一貫していることに気が付きました。それはやはり、この道を目指し始めた高校時代から変わりません。

私は高校時代、女子バレーボール部のマネージャーをしていました。このチームは、突き指、捻挫は日常茶飯事、肩や腰、股関節の痛みを訴える選手もあり、そのケアのほとんどはマネージャーである私がしていました。高校生ですから、当時は全て独学で、テーピングやけがの応急処置などに対応していました。

バレーボール部とはいえ、選手達の体格は小粒で、県大会ベスト8入りを目標に練習に励んでいたもののいつも目前の16止まり。しかしながら、団結力は強く同じ目標に向かって切磋琢磨していました。

私も選手たちと共に戦っているような感覚があり、頑張る選手たちに一番近くで貢献できるマネージャーのポジションがとても幸せでした。同期が6月に引退しても、なんだかやめられずに夏休みが終わるところまで部活に出ていたほどです。

友人のほとんどは大学進学を目指していましたが、私はこのマネージャーとしてやってきたことに近い職業に進みたいと思っていて、当時の私の知識の中ではそれはスポーツトレーナーでした。スポーツトレーナーならば体育大という選択もあったはずでしたが、やっぱりトレーニング要素より治療的要素の方が、興味があったのですね。それで鍼灸になったのだと思います。

『当時の私の知識では』と書きましたが、いろんな経験を積んできたことを振り返ると、トレーナーよりも『想い』を自分らしく達成しやすい方向に自然と進んできていると気が付きました。そして今まさにそのための仕事についていると気づきました。

その『想い』とは…

『共に目標に向かっているという一体感とサポートしている貢献感』

これです。
ここに尽きます。

これが高校生の時に得ていた幸福感であり、この体現を仕事でしようとしている。この一貫した想いを再発見すると同時に、今回の経営革新計画に取り組む意義がさらに明確になりました。